仮面ライダーOOO 総評「オーズ と まどマギ と 欲望 と 願い」

設定が雑なところもあったり、脱線が少しあって中だるみしているのに最後が駆け足的になってしまっていたり、予定調和の大団円的な終わり方で物足りないところもありますが、全体としてはとても楽しめました。また、普通に見て面白いだけでなく、批評しがいのある作品でもあると思います。

特に「魔法少女まどか☆マギカ」との共通点をいくつか見いだすことができ、実際両作品を絡めた二次創作ネタが多く作られていたので、同様に両作品を絡めた感想なり批評が出てくると思って楽しみにしていたのですが、今のところそういう批評はtwitterに極短い簡易なものが数件、ブログに一件あった程度でした。探し方が悪くて、あってもスルーしてしまっている可能性もありますが、単にまだ出てきていないだけなのか、そもそもまどマギを批評していたような層はオーズを見ていないのか。

我が儘ながら、私はまどかの感想でも書いたように、批評を書きたい欲望よりも読みたい欲望の方が強いので、何方か頑張って書いてくれると嬉しいなという感じなんですが、簡単に私が思ったことを書きます。

結論だけ言いますと、オーズという作品は「魔法少女まどか☆マギカ」の全体的な作品性を少し否定しているような側面があって、特にまどかの結末を否定している(まどかの想いは否定していない)と感じます。まどかは願い(オーズ的には欲望)を肯定しましたが、全体的に見ると後ろ向きというか、変に絶望感が漂っていて私は「魔法少女まどか☆マギカ」という作品をあまり好きになれませんでした。

一方、オーズはより強い欲望の肯定、正確には自分への欲の肯定があります。まどマギにはほとんどこれがなかった。正義感でさえも欲望に含まれ、自分の生き方の問題に回収されるという側面もあり、正義はどこにあるんだ感がある部分もありますが、この作品では他人を犠牲にしてでも欲望を満たそうとする者は基本的には淘汰されています(アンク含む)。

まず大きな例外は鴻上会長です。ウヴァの暴走によってビルごと吹き飛んだと思っていたんですが、ケロりとしていた。鴻上の目的はよく分からないところもあるのですが(そもそも鴻上の会社は何をしている会社?)、欲望による世界の再生を謳っています。鴻上はどちらかといえば社会的な領域の中での欲望の必要性を表していて、ここにはある種の残酷さも含みますが、社会、人類の発展のためには何らかの犠牲の発生はやむを得ず、人々が欲望をなくしてしまったら何も生まれないし、変わらない、未来がないということを突きつけます。

そして、その中で映司たち始め、人々の個の領域の中での欲望のあり方が描かれていきます。映司が欲したもの、それは力。その力は、途中で意識するようにアンク及びメダルを利用して手に入れますが、欲望が強くなっていき、周りが見えなくなり自分を見失っていきます。自分の手の届く範囲、欲望がコントロールできる程度の力、どんなに遠くてもどんな人にも届く力。まどかは結果的に後者を選び、神になった。映司は後者を選ぼうとして神になりかけたが、人間として世界と再び向き合うことになった。映司は何でも一人で抱え、自分の手、力で世界を変えることにこだわったが、最後に仲間、他人の力を頼ってもいいんだと真の気付きを得た。手の届く範囲は他人の手を借りて広げることができるし、欲望、願いが間違った方向にいっても修正してくれる。そんな存在、あるいは場の必要性が描かれると同時に、私たちのあり方が問われる。それが欲望による世界の歪みを正す一つの道であることを示しています。

まどかには残念ながらそんな存在はおらず、ほむらは引き止めようとしたが力が及ばなかった。ふと、この作品はまどかたちの結末を否定しているというよりむしろ、まどかが神になったことや他のキャラの行動を無邪気に肯定しているようなファンのあり方を否定している面があるのではないかと思いました。そして、それは42話の比奈の言葉と、最終回前の47話で知世子さんが比奈に語った言葉に集約されているのではないかと感じました。


さて、ここからはベタに不満などを少し書いていきます。

鴻上会長が最終回で語った世界の状況について。鴻上は「この飽和し、伸び悩む世界」と言いましたが、この作品で世界状況の描写はなかったように記憶しています。私たちが生きる現実世界のことをそのまま表しているのかもしれませんが、唐突すぎますし、鴻上が謳う世界の再生の必要性が伝わってこないので、ある程度はちゃんとその世界観を描いて欲しかったです。

次に真木博士について。面白いキャラではあるが、人物的にはあまり魅力がなく、ネタ要員、やられ要員になってしまっている感じがして、ラスボスとしてはしょぼすぎるところが。もう少し人物像を掘り下げて、ラスボスとしてもっと魅力的にするか、ラスボスにするのではなく、知世子さんや伊達さんによって心変わりし味方になる、あるいは心変わりしかけたところでグリード化し暴走して悲しい結末を迎えるというような展開がよかったなと思います。

最後は映司が進んだ道について。ラストで映司は旅をしていますが、その目的は何なのか?当初の夢であった世界の子どもたちを救う活動を再びしていれば、わかりやすく成長が見える終わり方になると思うのですが、そうはしなかった。最後のつぶやきからするとアンクを復活させようとしている?でも、それだと自分に生きる力を与えてくれた特定の存在のため(だけ)に生きてゆくという意味ではほむらとほとんど一緒で、個人的にはそれはどうなの?という、すごくもやもやした終わり方でした。こういうのは現代的な何かを表しているのでしょうか。アンクの割れたメダルを握りしめ旅をするというのは、アンクとの強い絆を感じさせ、やや女性ファン向けサービス的なところがあったりするのかもしれませんが。

簡単にと書いておきながら、こんな分量になってしまいました。新しく始まったフォーゼは、あと数話見たらお腹一杯になる感じがしているので、よほどストーリーかテーマが魅力的なものになりそうでなかったら見なくなるかもしれません。