ベーシックインカムを巡る議論 「Life政策審議会」文字起こし Part.3

出演:charlie(鈴木謙介)、斎藤哲也津田大介
ゲスト:飯田泰之(経済学者)、樋口明彦社会学者)

http://www.tbsradio.jp/life/2009/08/2009816lifepart3.html
今月16日深夜にTBSラジオで放送された文化系トークラジオLifeの一部文字起こしの第3回。


(鈴木)
どっちの言っていることも正しいように聞こえるんですが、僕がどこか引っかかってしまうのは僕らが社会学者だからだと思うんですけど、要するに社会の中で我々が生きているという事をベーシックインカム制度の上に建てられる自信があまり出てこないからだと思うんです。

社会生活というのを現実に置き換えてみたらどうだろうと思うと、ネット話になるんですが、月5万貰いながら後はひたすらニコ動に作品をアップして、アフィリエイトとかでがんがん稼いでみたいなことを出来る人は出来るんです。本人なりに社会の接点をアフィでもいいから持ちながら生きていける人はいると思うんですけど、何にもせずに5万円だけ与えちゃうと、手元には5万円しかないという人が確実に出てくる。


(飯田)
ベーシックインカムを言う人は二通りに分かれて、一つは社会主義的な「能力に応じて働き、必要に応じて取る」というタイプのベーシックインカム論と、それと真逆なリバタリアン、または完全な個人責任、自己責任の徹底としてのベーシックインカム論があります。

自己責任論または新自由主義の一番弱いところというのは、貧乏な家に生まれちゃったらどうすんの?ということがあるので、それについてはベーシックインカムで保障する。それ以外については自分で決めてくれという形でもいい。ベーシックインカムをう〜んと思う方が多いのは、物凄い両極端な人がベーシックインカムを言うんですよ。

僕は新自由主義よりのベーシックインカムなので大分違っているところがあるかもしれないんですが、樋口先生が仰る事に割と近いと思うのが、セイラーとサンスティーンという人がデフォルトでまぁまぁの社会というパッケージを提供してやって消極的な自由を保障するという、リバタリアンパターナリズム、温情主義的な自己責任論を言っていて・・・


(鈴木)
いろんな人が面倒をみてあげる代わりに自由がないというか、父性主義的と言うんですが、ある程度道筋をつけてあげるというのがパターナリズムで、リバタリアニズムというのは完全自由で誰も規制しないというもの。この二つは普通は矛盾するだろという気もするんですが。


(飯田)
要するにモデルは提示してあげて、特にこだわらない人はそれに乗っかって下さい。それが嫌だという人は拒否してください。生活保護でもそうなんですけど、下さいというとかなりハードルが高いんですよね。僕は雨宮処凛さんと対談をしていて、そこで生活保護の大きなポイントというのは貰うと「あっち側の人」になり正しい人間像から外に出てしまう。だから申請できないという話をしたんですけど、デフォで貰えるようにしておいて、収入が高くなった場合、またはいらないんだという人はそこから外れられるという風にすると社会保障が持っているスティグマ性の形が大分変わることになるんじゃないかな。


(樋口)
僕がそれを聞いて思うのは、自由って社会生活の中じゃないと出てこないんじゃないかと素朴に思ってしまうんですよね。


(鈴木)
そこが社会学者と経済学者の大きな違いであるんだけど、今の話を具体的にすると、世の中のレベルとしては「人は真っ当に就職して働くべし」みたいな合意なり規範が中心にあるけど、そういう生き方をしたくない、出来ないんだという人も生きていけるように全員に一律ベーシックインカムで保障するという仕組みが世の中にあったとして、社会学者が何故社会参加が必要だと言うかというと、僕らの社会はほとんど共同体社会ではなくなっているから、社会に参加する最初の入り口というのがどうしても雇用になってしまうところがある。

僕は雇用じゃないと駄目だとは思わないけど、今の世の中では雇用を通じてしか自己承認感覚というか、自分が世の中で役に立っているんだみたいなことを思える人がいないと思うから、そこをすっ飛ばしてベーシックインカムをやりますというのはどうだろう?と…