銭ゲバ 最終回 考察

まず、率直に思うのが、よくこの内容をテレビで放送できたなということです。まさに、この時代に出るべくして出たというような作品で、“金”と“人間”を巡る倫理を抉り出した佳作だったと思います。

感想を色々見ていたら、あれは風太郎の想像じゃなくて緑の想像だったということを書いている方が数名いて、その見方は面白いなと思いました。

どこまでが緑の空想かというところを考えると、幸せな人生像だけでなく、悶え苦しむ風太郎さえ緑の空想だとも今までの流れから捉えることが出来るように思います。
後悔していて欲しい、死ぬのはいやだと思っていて欲しいという緑の願い。でも実際は違ったというのが最後のシーンという解釈。これだと、変わった構成の意味もなんとなくスッキリする感じがします。

スタッフブログに演出の太谷太郎さんがこんな事を書いています。

風太郎の「左目」と「右目」。
自分の中で絵を撮る時に決めているルールがあります。
傷のある「左目」は風太郎の押し潰された良心を表現するときに撮る。
傷のない「右目」は風太郎の野心を表現するときに撮る。

母親のことを思い出すときには「左目」のアップ。
何かを企む時には「右目」のアップ。
撲殺してしまったお兄ちゃんのことを思い出すときの風太郎は「左目」中心で。
三國家の人たちを見るときの風太郎は「右目」中心で。

実はそんなルールを決めて撮影しています。

最終回は印象としては左目が髪で隠れた感じになっていて、主に右目が目立つカットが多かったように思います。このことを当てはめると、妄想を野心とか企みに置き換えれるような気もするし、押し潰された良心が妄想の中に如実に表れているんだから左目中心じゃないとおかしいという気もします。後者の場合は意味が反転しているということになり、あの風太郎は現実の姿ではなかったとも捉える事ができます。


あと、タイトルの直前のシーンも気になっていて、今回のラストシーンのセリフの始めの「分かったよ〜」から、緑が小屋を見下ろしているカットが入り、その後、弱気な顔の風太郎が映し出される。この繋がりも不自然で、色々考えると、やっぱり緑の側の妄想なのかなという感じが強くなってきます。

まぁ、これは深読みのし過ぎで、普通に考えればいいのかもしれませんし、どちらかが正解というわけではないので、解釈はそれぞれということなんですが、こういうことをスタッフが狙っていたとしたら、やるなぁ。と思いますね。


最後に、原作にもあるセリフかもしれませんが、風太郎の最後の言葉を掲載いたします。

分かったよ。分かったって。
俺はもう死ぬよ。
それが望みだろ、お前らの。
消えてやるさ。

でもな、俺は間違ったていたとは思わない。これっぽちも思わない。
確かに俺は人殺し。犯罪者だ。地獄に落ちてやるよ。

ただな、俺は思うズラ。
この腐った世界で、平気な面してヘラヘラ生きているやつのほうが、よっぽど狂ってるズラ。
いいか、この世界に生きてる奴はみんな銭ゲバだ。
お前らが気付かんで、いや、気付かん振りして。飼いならされた豚みたいに生きているだけの虫ズラ。
そいでよきゃぁ、どうぞお幸せに。

ただ、俺が死んでも俺みたいな奴は次々生まれてくるズラ。
そこら中、歩いてんだぜ、銭ゲバは。

じゃあね。