M2のサブカル批評 2008 Part.2

TBSラジオ「アクセス」で放送された宮崎哲弥宮台真司、両氏によるサブカル談議の文字起こしです。Part.2は秋葉原通り魔殺人事件について。


渡辺:宮崎さんは何かありますか?

宮崎:秋葉原事件をとりまく活動みたいなのがロスジェネ論壇とか若い子達の間で活発化するのかなぁと思う。私達の世代はオウム事件だった。宮台さんも私も基本的にオウム事件をどう論評するかというところで出てきた論者と言ってもいいと思いますが、そういう人たちが出てくるのかなと期待していたんですが、どうも、もう一つこれを論じ詰められなかったんじゃないのかなという印象を持つ。


宮台:僕もそう思うし、色んな編集者も大体同じことを言うんだけど、ロスジェネ論壇のスピーカーやライター、発言者って発言内容が公共的な感じがしないんですよね。せいぜい、昔でいうお座敷、同世代に向けて喋っている感じがする。だから老若男女に向かって喋っているように聞こえない。同世代の中での立ち居地を巡ってつばぜり合いをやっている、良く言えば住み分けようとしている。


宮崎:どうしてそういう風になってしまったかというのも、きちんと加藤と同じ世代の人たちや少し上の世代の人達が論じきれられなかったというのは、ちょっと私にとってはショッキングだった。


宮台:でも、この事件は10年前の酒鬼薔薇事件とか援交の問題とかと決定的に違う事が一つあって、本当の動機は横に置くとして、多くの人間が全く動機が不可解と思ってないということです。皆さんが良く分かると反応した。

雨宮処凛にしろ東浩紀にしろ、格差が若者を直撃した、グローバル化が弱者を直撃した結果起こったテロだというような話になった。これは恐らく分析としては完全に間違っているだろうけど、この分析が共感を呼んでいる。実際、動機はどうだったかは別として、動機が理解可能だと思って、そこにシンクロして連なった。そのあり方自体が僕から見ると分析に見えないんです。

グローバル化や格差が弱者を直撃したから起こったという分析は日本以外では絶対に通用しない。国際標準では、経済はどうあれ、人をドロップさせないような社会の包摂性が無いのが問題だと語るのが普通です。


宮崎:この事件を論じる論者たちの語り口に共感のフックが強すぎたと言えるんじゃないか。そこが、もうひとつ広がりを見せなかった原因にもなっている。


宮台:だからロスジェネ論壇それ自身がサブカルチャーだという印象がどうしてもあります。別にロスジェネ論壇に限った事じゃないんですけどね。ある種の公共性の無さが総サブカルチャー化と言ってもいいし、その象徴のように感じます。