亡念のザムド 総評

14話までは評価が出来るけど、それ以降は良い部分はあるにしろ、あまり評価できないというところです。

まず、最終回の感想なんですが、よく言われるように大きな物語の風呂敷を広げすぎて、単に収拾出来なくなってしまったのか。あるいは、全て狙い通りなのかというところで作品の見方が変わってくるので、注意しなければいけないんですが、一視聴者にはそれは判断できないので提示されたものをそのまま評価したいと思います。

結論から言えば、このラストはあまり納得がいきませんでした。14話以降の流れで大きく変わってきたのは、ファンタジーだということをいいことに魔法の様なものが使われて、製作者の都合で話が進んでいった感が強くなったという事です。ラストで何故アキユキが復活したのかという、それなりに合理的な説明が無いのはもちろん、伊丹と垣巣が生きていることも唐突感がありました。核となるヒルケン皇帝の設定も、漠然としたものとなっていて、単純に物語にのめり込めませんでした。

全体的に、なんだか取って付けた様な希望的な後日談という感じになってしまっていて、今まで積み重ねてきたものがほとんど生かされていない気がいたします。魔法といえば特にいただけなかったのが、ミドリの小さいけど深いトラウマに関してで、どういう構造か知りませんが、本来聞く事が出来るはずの無い死者の思いを聞いて問題が解決するというのは、これは基本的にやっていけないことだと僕は思うので、この回で一気に冷めてしまいました。


作品の根底にあるのは、人と人との繋がりだと思うんですが、中盤以降、結構スピリチュアルなところがあって、見えない繋がりがあることを描こうとしていることは分かるんが、なんか漠然としすぎていて、ちょっとそこのテーマから逃げているようにも思いました。直接的な繋がりというところでは、それぞれの思いがちゃんと描かれていて良かったんですが。


伊丹が語る、「言葉はいつも想いに足らず」というのが作品自体にも当てはまっていて、どうも核の部分を作品内でちゃんと描ききれていないところがあるんじゃないかなと思います。それぞれのキャラのエピソードは言葉では断片的に語られるけど、背景がしっかりと描かれていない。これは演劇のように舞台が定まったところで話が展開される形式なら仕方がないと思うんですが、自由度が高い作品でそれをやるのはどうなんだろうというところがあります。

それぞれのキャラにしっかりとしたエピソードを付けようというところがあると思うんですが、尺から考えればもっとエピソードを絞るべきで、例えば、中盤でフルイチを退場させず、最後まで使うということ。こうすればもっと物語に締まりが出てくると思います。展開の起伏を気にしてなのかもしれませんが、あそこで殺してしまったのがもったいない。


あとは、ザンバニ号・アキユキ側の人たちがあまりにも人間として出来すぎていてる所が気にかかっていて、少し排他性があるところがあるなと思いました。そこが顕著なのはフルイチや垣巣の件であるわけですが、痛みが出口になると言いながら、更なる痛みの入口にもなっている。そこを最終的に、まぁ仕方ないよね、そういうもんだよね的に、良い話として処理していたのが少し許せませんでした。


監督の宮地昌幸さんは、ジブリ出身で、今回が初監督作となるわけですが、宮崎駿の世界観を継承するような部分が多くあります。ここまではっきりと宮崎監督から影響を受けていることが分かる人は、これまで出てこなかったと思うのですが、正直言ってしまうと、この作品からはそこまで凄い才能がある方だいう感じを受けませんでした。初監督ですから、まだまだこれからというところだと思うんですが、もう少し作家性が見えるように、今度の作品は監督が脚本を全て担当して、色をはっきりと出して欲しいなと思いました。