M2のサブカル批評 2008 Part.5

TBSラジオ「アクセス」で放送された宮崎哲弥宮台真司、両氏によるサブカル談議の文字起こし。Part.5は音楽についてです。

リスナーから日本のラップの歌詞が幼稚だという話を受けて

宮台:ラップだと考えなければいいんじゃないでしょうか。ワールドミュージックの一種でオリジナルとは似ても似つかない何者かに変形した日本的産物と受け取ればいい。

渡辺:ラップのオリジナルとはどういうものですか?

宮台:犯罪者すれすれだったり、犯罪者だったりした奴が、自分自身の境遇を切り口にして、それこそ痛みから社会全体を見通すみたいに、社会の全体に関わる批評性を個人に引き寄せて歌うというものです。日本の若い人たちにそれを要求するのはますます難しくなっている事は今のお電話にあった通りです。


宮崎:日本のオールドスクールと言われるようなラップだって、向こうのストリートから出てきて、非常にハードコアな、攻撃的なもの、人種問題とか黒人のコミュニティーでは何が起こっているのか、銃弾が飛び交っていて平均寿命何歳だぜみたいなところから始まったもの。それは日本の現実とあまりにも落差が大きすぎて受け入れる事が出来なかった。オールドスクールですら、デラソウルが出てきたら安心したんだよ。こういうのもラップでいいんだと。それでスチャダラパーとか出てきたわけです。

そういう流れを汲むと、元々ある種、軟弱性というのを日本の現状を反映しているという点では不可避的に内蔵していたという気がします。まぁ、途中でキングギドラとか出てきたんですけどねぇ。


宮台:でも、やっぱりハードコア過ぎて商業の方に舵を切るわけですが、でもそれはマーケットがないからしょうがない。僕が大学で就職支援の委員会の院長をやってて、学生を観察してると面白いよ。やっぱり社会を見る力が殆ど無くて、大学にも原因があるかもしれないけど、社会理解よりも自己理解、社会分析じゃなくて自己分析ばっかりやってる。就職する時に皆BtoCだけ見ていて、つまりコンシューマー相手に仕事しているが故にコマーシャルとか見て、かっこいい、素敵だと思う企業ばかり探している。でも、企業の多くはBtoBで仕事していて、そういう会社はCMをやらないから、そうすると全然知らないわけ。

宮崎:CMに乗っかっている企業だけが企業だと思っちゃうわけね。

宮台:ということは、私に言わせるとやっぱり学生は昔に比べてパーになっている。20年前、30年前になればなるほど社会全体がどう回っているかということをよく知っていたと思います。

渡辺:その原因はなんですか?

宮台:それは自分自身の日常のルーチンが社会全体からみれば隔絶した島宇宙になっている。だから日々暮らしていくのに必要な知識、センス、何もかもが社会全体に関係が無いということです。逆に言うと、そういう所に関心を持って、例えば、電話の方のように日本のラップはおかしいぜという人は浮いちゃうわけですよ。でも、それはいずれ潰れちゃいます。やっぱりパーのままじゃ生きていけないんですね。


宮崎:ロスジェネとかワープアとか社会問題が出てきてるんだから、今そういうのを代弁するような連中が出てきても悪くはないと思うけどね。