なぜ日本人は結婚しなくなったか 第2部 ノーカット版 Part.1

某所でマル激の第386回、森岡正博×宮台真司×武田徹、3氏の対談がテキスト化されていて、結構な数ブックマークがされていますが、編集されている文章が実際に聞いたのとちょっと印象が違うなという感じがしたので、ほぼ編集なしのものを転載します。第一部も、ちょっとこれをカットしたら意味が違う、ニュアンスが変わってくるんじゃないかなと思うようなところがあるんですが、第2部の方がその割合が高いかなと判断したのと、倫理的なこともあるので、第2部のみを紹介します。あと、長いので記事を2つに分けています。
森岡草食系というのは私が考えたのではなくて、2、3年前にある本の中で出てきた言葉なんですが、それが今年になってにわかに広がってきた。女性誌がこれを取り上げるようになってきましたね。春から何誌かが草食系男子が増えていると、女性としてはただ待ってたんだとアタックしてくれないからどうすればいいんだ。という特集を組みはじめた。そういう流れがあります。

武田:それはマイナスのイメージというか、何もしてくれないもどかしい男子みたいな?


森岡両方ですね。マイナスのイメージでは、こちらはオシャレして待っているのに、何も起きないじゃないか、じゃあこちらから責めていくしかないのかっていう、ちょっとしたマイナスのイメージがあるわけですけど、同時に「草食系男子のほうが私はいいわ」という女性の声もあがってきている。

それで今回、そういう男子達の恋愛を応援したいなとこの本を書いたんですけど、その時私がイメージしていたのはまさにそういうイメージの男性達だった。なので、草食系男子っていうのは今の若い男性達の中に無視できないほど存在しているかもしれない、いいネーミングだと思ったということと、女性誌や読者の女性がプラスもマイナスも両方あるにしろ、いい表現であると思っているらしい。ただ、今よく分からないのは、男性達が草食系ということにどれくらいピンときているか、私自身よく分からないし、どうなんでしょうね・・・


武田:森岡さん自身は、男子よ草食系たれ!というメッセージを送りたいわけですよね?


森岡ちょっと微妙なんですけど、草食系たれということじゃないんですよ。正確に言うと草食系男子でもいいじゃないか。ということです。というのは、我々が若かった時代もそうだし、世界的にみてもそうですけど、男たるものはしっかりしてどっしりして、家族を守り戦える人こそが男だというマッチョな考え方が社会の主流にあると思う。自分もそうだったが、そうなれなくて困ったり苦労して頑張ったりする、でも根が優しい人はなかなか頑張れないし、そんな自分が辛かったりということがある。

ところが、そういう男性達に向かって「君は草食系でいいんだ」と言ってあげる人ってあんまりいなかっただろうし、言説としてもメインではなかった。そういう男子達に私が言いたいのは、君達は草食系だし、そうだと思ってるとしたらそれでいいんだ、悪い事でもなんでもないんだという肯定のメッセージを投げたいんです。


宮台:僕の印象なんですが、森岡さんが推奨された草食系のあり方というのは実は結構ステージが高いんじゃないかという気もするんです。というのは、古い話ですが草食系男子という言葉こそ無かったものの自分は性欲が無いんですというタイプの男子が目立つようになったのは、僕が東大の助手をやっていたころだから、90、91年頃です。サークルとかで夜遅くなったときに、女の子の家に泊まるとか雑魚寝するということが結構ある。「何も起きないの?」と聞いたら「何か起きるんですか?」という感じ。そうか、新しい文化が始まったんだなと思いました。

それが一方であって、もうひとつ僕が経験があるのが、92、3年頃に援助交際が目立つようになってきて調べていた時に、援助交際に抵抗がないのか?と聞いたときに結構出てきたのが、高校ぐらいで男の子と付き合うようになったが、結局渋谷で会ってラブホに直行してヤルだけの繰り返しで、付き合うということはもっと素敵なことだと思っていたが、これだったらお金を貰った方が良いなみたいな、短絡的な言い方をするとですが。どうも性愛に関するある種の動物的反復行為みたいなものが性の解放と共に日本の場合は目立つようになっちゃったのかもしれない。

ただそれは、社交のカルチャーがないとか、デートカルチャーを支える、自分をひとかどの人間だと思ってもらうことの重要性とかという観念が無いせいかもしれないけど、日本の場合、80年前後、高校での性交経験率というのが男12%、女8%ぐらいしかいなかったのが、90年代に入る頃には、女の子が2倍ぐらいに増えた。女の子に起こったことはなんなのかとその時考えたんですが、期待はずれだったと思うんです。

つまり、少女漫画とか小説で読んでいたようなものと違う事が展開していた。その時に別にデートじゃないけど、会ってもセックスしないで長い間話せる男の重要性の価値がその頃から潜在的に、あるいは部分的に意識されるような文化というのが出てきたのかなという気がします。それは日本の場合昔から「釣った魚に餌をやらない」というようなことがあったりするんだけど、どうも草食系と肉食系という風に分かれてしまうような土壌があるのかもしれず、その時に草食系に期待されていることっていうのは、単にセックスしないだけじゃなくて、カフェか自宅で色んな話を目的も無くだらだらと、しかしそれなりに心地よくやれるっていう関係性ですよね。これって僕から見るとセックスした方が楽なように思うんですよね。5時間も6時間もお話をし続けるというのは結構大変かもしれない。


森岡それも面白い問題で私もこの本を書きながら考えていたことの一つはそれだったんだけど、例えば、草食系のイメージとしては女性とデートする時にお洒落なカフェ、隣に軽い雑貨が置いてあるようなカフェに行って、ずっと楽しく話が出来るような男性。デートがメインだったりしてその時間が楽しい、イメージするとすればこれが一つの像で、私もまずそういうイメージをしたんですけど、若い時、もしデートした時に自分にそれが出来たかというと、そうじゃない。これが複雑な問題になるんですけど、私も10代のときは草食系だったと思う、ただ大学に入ってから自分で自分をマッチョ文化に洗脳していったんです。彼女が出来るためにはマッチョじゃなくていけないと。だから筋トレしてみたり、色々やった。なので、自分の中の男性性を開発しちゃった時期があった。

だとすると、そうして付き合えた女性との関係はマッチョになりますよね。だけど、その自分でも駄目で、アイデンティティクライシスを起こして、自分はマッチョではやっていけないんだということになりました。もう一回振り返ってみると、今は草食系男子でありたいと思っている。つまり、私にとって草食系男子というのは願望なんです。1回マッチョになった自分は拭い去れませんから、だから私が草食系男子と言う時にはとりあえずカテゴリーを2つぐらい考えてもいいかなと思ってて、一つは根っからの草食で、セックスは無いんだったら無いで普通にいられるタイプ、もう一つは自分の内に野獣性みたいなのを持ってるんだけど、その道を進みたくないと願望している男性。草食系でありたいんだけどほっとくと下からゴーっと野獣が出てきそうになるようなタイプ、天然草食系と草食願望系という2つに分けるとどうかなと思います。

すると、それぞれその2つは似たようでもあるし、違った課題を抱えている可能性があります。


宮台:本を読まさせていただいた印象は、いわゆる恋愛マニュアル、ナンパ塾みたいなのがあって、それは結構愚劣な内容なんです。僕もナンパビデオとか協力した事があるんだけど、斜め後ろ45度とか関係ないですよ(笑)これは女の子を警戒させないためにはどうすればいいのかというのがよくあって、そういうのは全然関係ない。そうじゃなくて女の子が第一印象でスクリーニングされないで、更に一緒にいて楽しいかもしれないという風に勘違いでもいいから思わせるために必要な行動というのがマニュアル的には大事で、それはそんな難しい事じゃないと思っていて、まぁ難しい事かもしれないけど、その難しさに比べたら願望系草食男子の場合はナンパしてセックスに持ち込んだほうが易しいんじゃないかなと思ったんですが、どうでしょう?


森岡それは私も考えていくべきことだと思うんですけど、ひとつクリアにしておきたいのは草食系男子が恋愛において一番望んでいる事はナンパじゃないと思うんです。モテでもないと思う。多分それは、さっき出会いという言葉を使いましたけど、心から惹かれるし好きで、自分に興味を持ってもらえるような人と出合って時間を過ごしたい、そういう経験をしたいというようなことだと思う。それはナンパではない、モテでもない。まず誰かに対して恋心というのが芽生えるというところがスターと地点になる何かだと思うんです。


武田:言葉でいうと、動物的性愛に対して人間的な恋愛で、人間的な恋愛を求めるのは草食系なんですか?


森岡そう纏められるとちょっと違うような気がするのは、ナンパするというのも凄く人間的なことじゃないですか。なのでそう簡単にはいかないと思います。だから人間か動物かということではなくて、実存的な関係をどう取り結びたいかという、そこに関わってるなんかなんだと思う。ナンパ師はなんで次々ナンパするのか?今日10人ナンパ出来たら、明日は止めとけばいいし、1年後止めとけばいいと言うけど、そうはならないですよね。成功しても失敗しても続けるわけです。それを駆動しているエネルギーというのは単に合理性だけじゃなくて、その根本には実存的な何かがある。


宮台:スティンガー系の人間を取材して分かった事は、特に高偏差値、インテリ系のナンパ師は基本的には保障、埋め合わせです。一番典型的なケースは初恋、あるいは初期の恋愛で大きな失敗をしていて、僕のケースもそうだったんですが、それを取り返すためにあの女と同じレベルかそれ以上の女をゲットしないと気がすまないみたいな、分かりやすく言えば。そういう感受性から出発してナンパしていくうちに段々感受性が摩滅してきてルーティンになっていくということが生じる。これは変な話だけどルーティンになればなるほどナンパの成功率が上がる。何故かというと女の子が継続する関係を求めないので逆にセックス自体は容易になる。これは仮説だけどそう説明できると思う。
   
だから、僕の教え子たちのレベルでもナンパ系に勘違いした形態で入っていくと、ナンパは成功するけど、永続する関係が得られない。というのは、ナンパが成功する理由そのものは相手の女の子はそれを期待していないから成功するという面が確実にあるからなんですよね。だから、よく考えれば当たり前のことかもしれませんけど、女の子が大事な相手を探すモードに入っている時にはナンパ師ごときに引っかかってセックスをしたりはしないということです。

   

武田:それは言い換えれば性愛と恋愛を天秤にかけているということでもあるんですか?


宮台:うん。でも僕に言わせると、スティンガーのナンパ師の多くは愛が欲しくて、愛を取り返したくてそれに踏み出しているという非常に興味深いデータがあります。僕自身がそれに気がつくのに凄い時間がかかっているので結構気がつかないやつは気がつかないのかなという気がします。


森岡その場合、自分の行動が全部裏切っていくということですね。非常に興味深い形。


宮台:ただ僕自身がそれに気がつくのにもの凄い時間がかかっているので、結構気がつかないやつは気がつかないのかなと思います。


森岡その話を聞いて対比で考えると、草食系男子に「君達が求めているものは何ですか?ナンパ師になりたいんですか?」と聞くと、「う〜ん。違う。」と返ってくる。
「モテたいんですか?」と聞くと、モテって何かという話になって、それは女の人が次々に寄ってきていい思いをしてと、それでもない。じゃあ何かとなると、多分みんな思春期にもちがちな「赤い糸で結ばれた二人が」みたいなことなんですよ。これを何を子供みたいに言っているんだと笑っちゃいけないと思っていて、その中には最初に言ったように大事なものが含まれていると思うし、そういう意味でメルヘンチックになる彼らを、私は笑いたくないという思いがある。

ただ、そのうえで言えば、そこばっかり走っていくと今度は逆の罠が待ち構えているということをちゃんと言わなければならない。異様にメルヘンチックになった時に自分の中で虚像をどんどん作り上げていって、理想の女性が出来てしまい、女性というのはこういうもの。これが運命の女性、そんな女性はどこにいるのかキョロキョロ探して、どこにもいないじゃんみたいになる。

また、目の前に女性が現れたときに自分の女性像に無理矢理当てはめようとして、ずれてる。じゃあ駄目だとバツにして絶望に陥っていくいうようなことがメルヘンチックに走りがちな男の子というのは行きがちだと、私も昔そうでしたから。だから、それは避けるべき罠だよというのを同時に言わなくちゃいけなくって、この本でもそのことを言ってますけど、赤い糸。これはOK。だけど、赤い糸の向こうにいるのは生身の女性なんですよと、あなたたち一人一人が完全無欠でもなんでもないし、色々な悪い面、駄目な面があるのと同じようにあなたと結ばれている相手も駄目な面もあるんだ。生身の人間で色々なものを抱えているんだ。でもそこでお互いにちょっとずついろんな面で駄目だからそこで初めて人と人とが出会えるんだということを人生の中で出会えていける通路のひとつが恋愛かなと思うし、そこで架空の虚像をペタペタ貼っていくんじゃなくて、色んなものを兼ね備えた欠陥があるもの同士が出会えたじゃんみたいなことが有り得るし、そういうことを草食系男子は恋愛という言葉で君達もイメージしてるんでしょ?という問いかけを私はしてみたいなと思ったんです。


武田:森岡さんの人生をこの本では随分勇気を持ってお書きになっていると思いますけども、自分の男性性に対する違和感みたいなものが深い部分にあって、その延長上に今の草食系の考え方が出てきているような気がするんですが、そのあたりをお話いただけるといいんですけど。


森岡個人的にはそうだと思います。ここも分けて欲しいのは、私が世にいる草食系全体を代表しているわけではありませんよ。色々な草食系がいて、そのうちの極ひと握りのパターンだと思います。そのうえで言えば、私の場合は「感じない男」にも書いたんですけど、自分が男として生まれてきたということを思春期の時に肯定できなかったという思いがある。

このことを言葉に出来たのは非常に最近の事で、今だから言える。そのことが私のセクシャリティを歪めていった自分が男の体を持って生きなければいけないということはどういうことかというのが私の今の時点での大問題なんですけど、その気付きと同時に男の体とは何なのか?男とはどうあるべきかということがどう思われていたのか?というのを考えてみると、社会が男はマッチョたれと言ってきた綿々たる歴史があったわけですが、そういう世間で男はこうあるべきだとされてることに対して、学問的な疑念ではなくて、体の底から湧いてくる大きな疑問というのを昔から引きずっていたんだなという思いがあるんです。


武田:この本では男は汚いと書いてらっしゃいますよね。


森岡これも言葉に出来たのは、この本を書いたときなんですが、特に思春期になってすね毛ががんがん生えてきたり、夢精した時の体を凄く汚く思ったり、自分は何でこんな体を持っているんだろうと。あと、マスターベーション始めた時に、終わったあと非常にむなしいし、肯定できないということがあるわけです。こういうことを色々な男の子に聞きたいんというのがあります。


宮台:女の子だったらよかったのになと書いてらっしゃいますが、僕も全くそうだったなと「感じない男」を読ませていただきました。僕の場合、男子校に行って6年間女の子にあんまり接する機会が無くて、大学に入った時に結構大きなショックを受けているんです。

というのは、僕は6回も転校して、いつも女の子に囲まれているような環境で小学校を育ってきた。女の子との間で戯れる。それこそ草食系の原型だと思うんですが、よくままごともやったし、ごっこ遊びもやったり、一緒に少女マンガを読んだりという記憶があって、大学に行ったら、僕の入った大学が合同サークルがいっぱいあったせいもあるんだけど、そこにいる女の子達が色目を使う汚い存在に見えた。それは勘違いじゃなくてそうだったというところも確かにあると思うわけ。つまり、僕が思ったよりも女の子が凄い性的な存在だったんです。というか、何も思ってない状態で性的な存在である女の子を目撃して衝撃を受けたという経験がある。

あとでその時に何がショックだったのかな?と思い出そうと思って、分かった事が一つある。それは僕がフィールドワークをしている時に、日本で最初のイメクラを作った年下の男がいて、彼はナンパ師だった。ところがある時期から女装者になった。それは何故かというと、簡単に言えばあることがきっかけで自分が女の子をナンパするのは、自分は女の子になりたいからだ。と女の子に同化したいからそれをやりたいんだということに気がついて、だったらということで当時付き合ってた女の子の化粧とかをするようになった。女装ですから性同一性障害とは違うわけで、女装ってすごい綺麗なんですよ。

その時分かった。あっ!僕も凄く似た動機かもしれないなと。僕が小学校の時に経験した「愛に包まれた共同体」みたいな戯れの世界のものが原体験としてあって、それが現実の女の子との間で得られないような気がしちゃった。それがある種、傷になってたのかなという気がするんですけども、間を省いて言いますが、エイズショックとか色々あったその後に僕が達したある境地というか感受性は浅はかだったなということだったんです。

つまり、女の子も仕方なくやってるだけ、仕方なくゲームに適応したふりをしているだけで女の子の中にも愛に包まれた無償の共同体のイメージがある。それは草食系の男と一緒にいたいという願望みたいなものだと思うんだけど、それって時代の問題じゃなくて、女の子の中には多分ずっとある。だから草食系男子のほうがモテると思う。セックスをするという意味でもモテると思うんです。何故かというと、女の子から何がどう見えるのかということが分かる男が女の子にとっていいんですよ。

マッチョでかっこいいとか、自分を守ってくれるとか、それはそれとして悪くは無いけど、それよりもはるかに女の子的なコミュニケーションが分かるとか、一見愛に包まれた共同体のようでいながら女の子同士での色んな横のつばぜり合いみたいなのも分かったりしている。そういう理解ですよね。今の女の子は以前に比べれば成熟していて、理解を求めていて、その理解というのは自分の悩みを理解してくれるという水準よりももう少し浅いというか、一般的というか、うまく言えないんだけど、つまり自分の目の前にいる女の人が何をどう見てどう感じているのかということを分かる力があるかどうかという意味での理解。そういうことに対する要求が女の子の中では強くなってると思いますが・・・


森岡それはそうでしょうね。その要求は昔からあったかもしれないですね。昔からあったけども、それを上回る形で男たるものはかくかくあるべしというのがあって、女性にもそれを仕方ないと思っていたか、内面化してた可能性があるけど、その圧力が減ってきた事によって新たに草食系というのが浮かび上がってるのかもしれない。

話が変わるかもしれないけど、この間自宅に帰る途中、目の前を20代の女の子2人が手を繋いで歩いてたんですよ。それを見て思ったのは、いいなぁ、男同士だと指差されるよなと思った。凄く平和そうに見えた。

その出来事はこの本を書き上げた直後だったんですけど、ふと思ったのは、こういうのを見たときにいいなぁと心の底から思えるような感受性というのが草食系の感受性と捉えていいんじゃないかと自分で納得した。


宮台:だとすると、僕も草食系であると思う。90年代にある雑誌で連載をしてた時に編集者とこういう話になった。女の子同士で仲良く映画見に行ったり、ショッピングしたりするのはいいよねって言ったら、彼も、僕もそう思っててなんで男の子同士出来ないんでしょうね?と。じゃあ、俺たち一緒に映画見たり色々しようよと、実験的にそういうことをやっていたら凄い視線を感じるんですよ。

で、たまたま少し後に韓国の人に会ったら、韓国ではそんなの当たり前だよと言われて、「それが問題なんだよ〜、だって僕たちが映画館で席に座ると周りの席が空くもん。」という問題ですよね。だから確かにそういうことで言うと僕も草食系なのかもしれない。女の子のコミュニケーションがいいなぁと思うとか、女の子から世界がどう見えてるんだろうと関心を持つとかって結構高度な気がするわけです。

というのは、いわゆるナンパ師と言われてるやつとか、モテ系と言われてるやつの多くはそういう能力は持ってない。そういう意味で言うと、むしろそっちの方が簡単で草食系のほうが難しいかもしれないなという風に思う。


森岡希望のある風に考えていくとすると、お酒飲むよりはデートする時にカフェに入ってお喋りしている男の子って増えていると思います。そういうこととは違う、女の子とペチャクチャ喋ったり、雑貨見たりとかする中で彼らが自然に学んでいく部分が結構あると思うんです。ですから、そういうカップルとか男性に対して世間の目の厳しさが減っていけば減っていくほど彼らは行動がしやすくなり、しやすくなると自分で学習するチャンスが増えるという風に回転していったとすれば、難易度は低くなるかもしれない。ただ、がんがんの体育系、運動部にいたような人が大学に入っていきなり草食系になれというのは凄い厳しいと思います。準備期間がないですからね。ただ、準備期間というものが社会全体、特に若い人たちの間で持ちやすくなっているんだと考えれば難易度はちょっとずつ楽になっていくかなという気がする。