だからオタクって何よ、で、どうすべきなの?

I don’t wanna walk around with you - いわゆる「オタク」、この存在を国が障害者認定せよ
極論なところもあり、障害者認定しろ!とまでは思いませんが今のオタクへの皮肉という意味では同意。なんですが、この方の言うような超社会性・常識のないオタクがどれだけいるやら。あと、ある程度主張が認められたいと思っているなら、もうちょっとまじめに書いたほうがよろしいのではないでしょうか。

さて、東浩紀さんはオタクという言葉を定義しようとする事にあまり意味はないというようなことを仰っていましたが、ここ最近、オタクという言葉がひとり歩きをしている感じがして、そのオタクってのは、どういうオタクの事を言ってるんですかい?と、いちいち考えなければいけないことがしばしばあり、いい加減多少は統一されて欲しいと思っているんですが、様々な考えを持っている人が好き勝手やっているネットでは土台無理な話なのかもしれません。


ところでこの方は、岡田斗司夫さんの存在をつい最近知ったようですが、岡田さんのやってきた事をよく知りもしないで勝手に自分のオタク像をはめ込んで叩いており、反権威、反教養主義者なのか知りませんが、それはないでしょうと思うことも書いている。

しかし、過去の日記を読んだりしていると、この方もオタクじゃないか!と思うところが多々あって、もしかしてわざと知らない振りをしている?それともただのオタクを見下したいサブカル系の人?等と5分ほど悩みました。


それは置いといて、岡田さんは、オタクというのは感受性が豊かで、教養もあり先見性がある。単独のジャンルだけに興味を持つような奴はただのファンでしかない。職人の芸をきちんと評価し金を落とすという形が健全な文化の育成に・・・まぁ、とどのつまりオタクというのは素晴らしい人種で、決して弱者ではないということを言ってきたんですが、今やそんなオタクはほとんどいなくなってしまい、オタクは死んだ!と宣言したことは一部オタク界で有名でしょう。

本人は、これは社会がある程度豊かになれば起きる当然の流れとしているが、やはり複雑な心境ではあったことは想像できる。しかし、恐らく今や悲観的には捉えてはいないだろう。

岡田さんは現在、オタクというのは「趣味だけで社会や他者とコンタクトをしようとしている人」と定義しており(去年あたりの「創」のオタク清談より)、そうなると、この方のオタク=えぇ歳をして漫画・アニメ・ゲームの話しかしない痛々しい人。というような見方は、ある意味では正解となると思います。

ただ、岡田さんは自分の言っていることが正解とは限らないと自覚しており、いつ主張が変わるか分からないんですが、自称オタクの皆さんは、自分がどういう風に見られているかを自覚して、今後どうしてくか、どうあるべきかだったりを真剣に考えて建設的な議論をほうをしたほうがいいと本気で思っていて、今一部オタク達がやっていることというのは、自らを不利な状況に追い込んでいる状態にあり、自分達のためばかりか社会の為にもなりません。


皆が幸せ。というのは無理でしょうが、皆が不幸になるなんていう最悪な状況を避けるために、一人一人が自分が好きな事のために向き合っていく事をしていかないと駄目な時期に今あるのではないでしょうか。

う〜ん、思っている事を書いてたらちょっと気持ちの悪い長い文章になっちゃった。何を偉そうに語ってんだか。と。自分で嫌になるなぁ。そのうち消すかもしれません。
あとこれを読むと岡田信者と思われるかもしれませんが、人として好きな所があることは確かですが、信者とまではいきません。