法令解釈担当を、平野官房長官から枝野氏に変更

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010021302000106.html

あまり注目されていないのですが、東京新聞に気になるニュースがあったので紹介。
法令解釈担当を平野博文官房長官から枝野幸男行政刷新相に変更するというもので、これは記事の解説にもありますが、平野官房長官が国会の答弁で窮していたことを鳩山総理が遺憾に思って、変更に踏み切ったものと思われます。

原口一博総務大臣HPの日記で、自著「平和」での枝野氏との対談を紹介しており、ここで枝野氏の憲法の基本認識について知ることが出来ます。以下、引用。

(原口) 

まずお聞きしたいのは、憲法についてです。私たちは、どのような基本認識を持てばよいのかということです。特に平和の部分に関してですね。民主党憲法調査会長として頑張ってこられた経緯とその中身をお話しいただけますか。

(枝野)

憲法は、「権力者は間違える」ことを前提にした仕組みです。民主主義の社会では本来、権力者は民主的な手続きで選ばれているはずですから、その人たちに任せておけばいいとも一見、思えます。ところが、一時々々の多数派が、必ずしも長い目で見たときに正しい選択をしているとは限らないわけです。あのヒトラーですら、民主主義のルールに従って政権の座に就いています。だから、一時々々の選挙で勝利した多数派でも、してはいけないこと、あるいはしなければならないことを、国民(主権者)の側がきちんとあらかじめ枠にはめておきましょう、これが憲法なんですね。

特に19世紀から20世紀の前半は、やはり人類が平和の問題でかなり間違え、そのために多くの尊い犠牲も払ってきました。なおかつ、21世紀という、間違いが以前より許されない時代に入っています。したがって、形式的な民主主義に支えられた、一見、多数を持っていたとしても、ここまでしかやってはダメなんだと。あるいはこういう方向に向かって進んでいくべきだという、道しるべの重要性は、非常に大きくなっています。そういう意味では、憲法の持つ意味、九条の条文を具体的にどうするのかという話は別としても、九条の目指している方向と理念は、ますます大きくなっていると私は思っています。