「ミヤダイさん、最近の映画はどうですか?」 TBSラジオ「デイキャッチ」文字起こし

http://www.tbs.co.jp/radio/dc/fri2/index-j.htm
デイキャッチの宮台真司さんのコーナーを文字起こし。ラジオという媒体もあってか、大分くだけた感じで話していらっしゃいます。終盤の、強啓さんとのコントは割愛しました。

興行収入の面から言うと、決して悪くなくて、去年は歴代2位の2000億円なんですよね。

ただ長い間、映画を見てきた立場から言うと、特に邦画の質にかなり問題があると感じるんですね。その話を今日はしたいと思います。

二つあります。一つは、ウェルメイド化。つまり、感情的な娯楽映画ばかりになっているということ。もう一つは、ミニシアターで小さな規模で回るタイプの映画がたくさん出てきたということ。これは両方とも大問題だと思っています。

後者の方から言うと、例えば韓国は人口が4400万人(最近、5000万人突破というニュースがありました)で、国内市場では回らないから、国際的に通用する映画を作らなければいけないという、非常に巨大なプレッシャーの下でやっているんですね。なので、ポン・ジュノ監督の「母なる証明」という、まぁこれを見た日本人は腰を抜かしますわね。「何でお隣の国がこれを作れて、日本は作れないんだ」と思うぐらい凄い映画なんです。娯楽でありながら娯楽を超えているんですね。

日本はミニシアター化が一方で進んで、一方でデジタル化というダウンサイズ化によって予算も人員の規模も機材の大きさも、小さく映画が作れるんです。なので、昔だったら有り得ないような良いクオリティ、見かけ上良いクオリティの作品を比較的低予算で作れる。そうすると、どうなるかと言うと、専門学校がいっぱいあって、クリエイターもどんどん出てきて、インナーサークル、つまり内輪の輪の中で回せちゃうんですよ。小規模でミニシアター上映して、あとはDVDで売るというだけでそれなりに回ってしまうということなので、ある感受性を持った人間だけを相手にした志の低い映画が出回るんです。

それと繋がった問題が一つ目のウェルメイド化で、これはつまり娯楽化ということなんです。僕は映画というのはやっぱりテレビでないと思っているわけです。わざわざ1800円のお金を払って、2時間なら2時間、体を拘束されるわけだから、それなりのおみやげを持って帰りたいと思うんです。単なる娯楽だったら、もっと楽しい事がいっぱいあるので、それ以上のものが欲しいと思っているんです。

さっき「母なる証明」の話をしましたけど、映画というのは芸術、アートじゃなきゃいけないと思う。娯楽はレクリエーション、元気になって現実に戻れるんですね。映画を見る前と同じように現実生活を送れるわけ。でも芸術は違うんです。どんなに楽しかろうが、悲しかろうが映画を見終わった後、現実生活を以前と同じように送れない。どこか現実を見る目が変わってしまう。

(荒川)

例えば日本映画だと、どういう作品がその位置付けとなるんでしょうか?

(宮台)

1960年代の作品がそうですし、映画ではないですけど、TBSテレビが作っていたウルトラマンシリーズもそうです。ウルトラマンは怪獣をやっつけますけど、その怪獣は人間が悪いことをしたから暴れていたり、怪獣と人間が同じ場所に住むことが出来ないから暴れているという話がある。それを見た子ども達、大人も含めて、「そうだな。社会っていうのはそうかもしれない」となる。70年代に入って、仮面ライダーみたいな、絶対悪、理由無き悪というのが出てきてしまったのが、日本を悪くしたんだと思いますけどね。

いずれにしても、テレビでさえ「社会ってそうなんだな」と子ども達に思わせた。ウルトラマンを見た前と後では、社会を見る見方が違っているんですよ。これが芸術なんです。ウルトラマンを娘に見せましたら、予想が外れて、単に暴れん坊になってしまって、僕が殴られて終わってるという感じなんですけど(笑)それはそれとして、日本映画も昔の志を取り戻して欲しい。「映画を見る前と同じ枠組みで日常生活を送れなくさせるぜ!」というようなことを何で思わないのかなと。

母なる証明」の場合、私達は「罪を負った人間が罪を償うべきだ」という通念を持っていますが、そういう通念を裏切るような「そんな単純な話じゃない」と。簡単に言うと「罪を負った人間が罪を償わなくてもいいような場合があるのかもしれない」と思わせる、とんでもない映画なんです。

大きなことだと思うのは、日本と海外を比較すると、日本は凄く偏ってるんですよ。娯楽としての映画があってもいいけど・・・