エヴァの時代の終止 ヱヴァ:破について 改訂版

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破は一言で言えば、エヴァの時代の終止を描いた物語。

エヴァの時代は一言で言い表すのは難しいのですが、ざっくり言えば「心の不安」の時代だったと思います。精神科医斎藤環さんはエヴァを成熟困難性がリアルに描かれている作品だと評していて、その部分が時代の空気と見事にシンクロして大ブームを巻き起こした面があると言えます。

ヱヴァの時代、つまり現代はどういう状況にあるかというと、アダルトチルドレンというのが社会的に認知されて色々対策がなされてきたり、社会情勢の変化もあって、自分探し系というのが増えたりしている状況にある。斎藤環さんは内向き保守の若者、おとなしい若者が増えたとも言っていて、基本的に大人には反発しない若者が多いようです。まぁ、兎にも角にもアダルトチルドレンの時代はもう終わったという事ですね。


しかし、そういった背景を無視してヱヴァを一つのアニメとして物語を見てみると「破」の段階ではほとんど新しさを感じられません。映像的には新しさを感じるというか、まだこんな事が出来たんだ!という事は思ったんですが、この内容ではまだアニメ界の閉塞感を打破したとは言えないように思います。とあるブログで、『これは「映画」ではなく「アニメ」だ。』という感想を読んだんですが、実にアニメ的な展開をしているわけで、セルフ二次創作の域を出ていないように思います。俺の望むエヴァを作ったお!みたいな。


あと、各所の感想を読んでいて気になったのはヱヴァ:破について絶望感を抱いているような人が結構多いということ。それは恐らく物語全体が明るく、キャラが大きく成長しているが故だと思うんですが、それは僕もある程度感じていて、というのも僕が考えていた、あるいは望んでいたヱヴァというのは成熟困難性を抱えながらポジティブに生きるというものでした。


端的に言うと成熟困難でもOKとして、小さな成熟が描かれるものだと思っていたところ、予想以上にそれぞれのキャラが成長しちゃったもんだから、少し下駄を外された感があったわけです。
中高生に向けてという意味では、とても健全的だと思うんですが、僕としてはまだ庵野秀明という個の存在が見えていなくて、大人のエゴというか、ただの大人な意見ですねぐらいにしか感じられませんでした。


まぁ、まだ「Q」、そして「?」と続くわけですから、何が起こるか分からない。この感じ、つまり若者をポジティブに肯定して応援していくのか、そうではなくて、現代の若者が孕んでいる問題を抉り出していくのか、あるいはそれとは関係無しにアニメ・物語としての面白さを追求するのか・・・