ネットは人の頭を悪くする?

月に一度、Gyaoで放送している岡田斗司夫さんの番組で、岡田さんがオタクはすでに死んでいる論争に触れ、その流れでネットは人の頭を悪くする説を語っていました。その引用を以下に記述しますが、会話を文章にしているので多少編集・脚色してありますことをご了承ください。

あれは記者が読者に一番伝えたい事をまとめたもので、僕がそういう風に言ったということじゃなくて、岡田さんの言いたい事はこういうことなんじゃないかと僕は思ったという記者の主観も入っている。これはブログの感想に近い。

ただ、新聞記者として教育を受けているからそんな間違ってない。

  • 論争について

それが新聞に載ったら論争になっていてびっくり。やっぱり、オタク論が好きな人があんなにいるんだなぁと思いました。面白い。

僕は元々何のオタクですか?って聞かれたら、オタクオタクですと言うぐらいオタクの人のウォッチングが好きなんです。

この論争に参加したいと思ったぐらいなんですけど、ただそれは彼らが作っている場で、これはその人たちが一生懸命やってその人たちの世界を作るべきだと思うんです。

そこでの論争で勝ったり負けたりすることが自分たち自身の歴史を作ることだから、あんまり僕みたいな人間がそこに介入して、ああだこうだ言うのはなんか違うなという気がしちゃう。

  • ネットは人の頭を悪くする?

前々からネットは人の頭を悪くするという仮説を立てているんですが、もちろん反論も出来る。そうじゃない場合もあるとか、逆に頭を良くするとか幾らでも出来るんですけど、まずは仮説を立ててみるところから始めるんです。

ネットは人の頭を悪くする。だから、ネットは駄目だじゃないんです。ネットは人の頭を悪くするから、僕らはネットを使う時にかなり気をつけたほうがいいよと思うんです。

それはコンビニとかジャンクフードは太るというのと同じで、何故太ると言われるのかというと、コンビニやジャンクフードに依存する生活になってしまいがちだから太るんです。


ネットは人を馬鹿にするという僕の仮説も正確に言うと、ネットに依存すると人は頭が悪くなってしまう可能性がすごく高い。それぞれの人が頭が悪いということではなく、千人ぐらいの人間をネット漬けにしてみたらかなりの確率で頭が悪くなるはず。

例えば、このネットというのを1950年代に生まれた人に、ネットというのは世界中の情報が家で座りながら手に入って、どんな意見も簡単に交換できて、ほとんど検閲もしないすごいものなんだと説明したら凄いびっくりして、「ということは、21世紀の日本人は全員天才ですね!」と言うと思うんですよ、それを聞いて僕らは苦笑して、いや実はそうじゃなくて、そこでも喧嘩やったり世代論争したりしてるんですよという風になる。

テレビは教育目的で作られたものだったのが、結果として全ての家に送られているのは明石屋さんまの番組であって、視聴率競争であって一億総白痴化大宅壮一が言うようになった状況があったが、ネットもそうで、ネットから天才が出てくる可能性や、新しいビジネスが生まれる可能性は幾らでもあると思うんですが、こうなるんじゃないかという世の中の予想と、結果として世の中が流れてしまったものと違ってきている。

自分の本のことで、ネットで色んな意見を見て面白かったのが、例えば評論の世界、もしくは物を書く人たちというのは記事とかニュースを見たら本当かな?と思って原典をあたり、その次のプロセスに考えるというのがあるんです。それも1週間とか1ヶ月考えるんです。

一昔前の評論家とか物書きの人って、取材とかで何々読みましたか?読んだ感想は?と聞かれると、読んでまだ3日しか経ってないから、まだ分かんないよと平気で答える。これが僕が子供の頃ぐらいの知識人の姿なんです。


つまり、考えるということは一週間ぐらいじゃなくて一ヶ月考えるということであって、「テレビとか週刊誌は軽薄だから2日や3日考えただけで意見を聞いて来るんだよ」ということを言うんです。

なんでそれだけかかるかというと、考えをまとめるためで、一人で頭の中でああだこうだするのに時間がかかるから。あと、それを無理矢理加速させないから。

でも、ネット時代は記事とかニュースを見ると、自分の気持ち至上主義と言っているんですけど、まず感情の感覚が出るんです。その記事を見た時に、腹が立つ、反発を感じる、笑う、共感する、という感情が出てくる。

そうすると、この自分の感情が当たってるかどうかを知るために、いきなり他の人の意見を見ちゃうんです。これが僕の思うネットは人の頭を悪くする可能性の一番最たる部分で、つまり答え合わせをするのが早すぎるんです。

自分の考えで散々悩むプロセス無しに、他の人の意見を大量に見れてしまう。そうして大量に見れば見るほど、一番最初の自分の感情と合うものが絶対に見つかってしまうんです。そうすると、そこの意見を読んで自分の感情を肯定するところから始まって、次にネットの中での意見の大きい分布が分かって、ネットの中では仲間外れではないなとか思って安心してしまう。これら全てが恐らく1時間とか2時間以内に出来てしまうので、あっという間に皆と同じ意見になってしまうんです。

今回の論争を見てみると、どの意見を書いている人も他のブログでの意見を参考にしながら自分の意見を書いている。ここではこう言われてるけど、僕はこう思うというような事です。

まず他人の意見がいっぱいある中の自分の中のポジション決めで、答えを先に見てからの自分の位置決めだからあんまり愚かな事を書かなくて済むんだけど、その代わり図抜けた意見が無くなっちゃうし、周りの大勢に逆らうような意見が書けなくなる。これは知的トレーニング法として、かなり悪いと思っています。

この仕組みがある限り自分の気持ちというのと、ネットでの意見の大勢が一致しないと不安になっちゃうような感情が出てきちゃうから、本来いえばネットとかブログみたいなものというのは色んな意見の並立が許される場所であるはずなのに、そうではなくて、色んな意見があっという間に同一温度になって一つの似たような価値観に収束していく速度が速くなり、いわゆる祭りが起きてしまうような装置になっている。

これはなかなか危ないぞというのが僕のネットは人の頭を悪くするぞという考え。

ネットは人の頭を悪くするという言葉は、ネットやってる奴は馬鹿だという風に短絡的に捉えることもできるんですけど、その言葉だけで捉えるような奴は、俺、相手にしてないよという冷たい考えしてるんで、嫌われるような言い方になっちゃうんですね。

これは所謂サイバーカスケードの話と同じようなもので、ウェブ論を追いかけている人にはそんなに目新しい視点ではないでしょうが、それを少し面白おかしく、一般の人にも分かりやすい感じで説明されています。昨日のはてブ人気エントリーネットやってても、キミの世界観は広がらないという記事があったんですが、これも似たような話です。一般論として〜をやりすぎると馬鹿になるというのもありましょうが、要はリテラシーが大事という単純なところに行き着くだけで、なんか論として物足りないものがあります。まぁ、技術を生かすも殺すも人間次第ということですね。