オーデュボンの祈り (新潮文庫) ★★★★☆

伊坂幸太郎さんのデビュー作を読みました。
まず、読み終わって一番に思ったことは「え!これで終わり!?」で(笑)、そしてこんな落ちありなのか。とちょっと戸惑いを覚える最後でした。正直、もっとこの物語を読んでいたかったので、これで終わるのもなんか中途半端だなぁと思ってしまいました。しかし、面白いのは事実。この舞台でもう1つぐらい物語が作れそうだなと思うので、続編みたいなのを伊坂さんには書いていただきたいですね。

さて、この物語には個性的な人物がたくさん出てきます。その中で僕が一番気に入ったのは「桜」です。この「桜」というのは人を殺しても許される人物です。先に言っておくと、この舞台では裁判制度というものがありません。("一応"警察はあります)
この「桜」は、悪事を裁くというわけではないですが簡単にいうと裁き人みたいなものなんですが、殺す人物というのは「桜」自身が決め、その「桜」が誰を殺しても許されるというような設定です。
普通に考えると、それはおかしいと思うでしょう。では、桜と殺人者と何が違うのか?
桜という人物は花と詞と読書が好きで容姿はとにかく"美しい"と表されています。そして騒々しいのが嫌いで、人間嫌いという性格です。この作品はミステリーでもあり一種のファンタジーでもあると捉えられます。この「桜」はまさしくファンタジーの世界に出てくるようなキャラのように感じます。「桜」の行為だけを取り出して見ると、自分が邪魔だと思った人物を殺しているだけに過ぎません。「桜」は主人公である伊藤にちょっと心を開いた感じになるんですが、伊藤(または読者)にある問いかけををします。

「動物を食って生きている。樹の皮を削って生きている。何十、何百の犠牲の上に1人の人間が生きている。それでだ、そうまでして生きる価値のある人間が何人いるか、わかるか?」「ジャングルを這う蟻よりも価値のある人間は何人だ?」

伊藤「分からない」と答える。

「ゼロだ」。

これはありきたりな問いかけではあると思うんですが大事なことですね。そして「桜」は「人に価値がないから、撃つわけ?」という伊藤の問いにこう答えます。「正気でいるため。」と。
これだけで普通の殺人者とは違うということがお分かりになるんじゃないかと思いますが、いくら醜い人を殺そうと現実にこういう奴がいたら逮捕され、こう糾弾されるでしょう。「狂っている」と。
まぁ、この話を現実的に捉えてもしょうがない気もしますが、伊坂さんは法学部出身なのでおそらく司法の意味とは?ということを問いたかったのかもしれません。ある意味でこの作品は社会派ともいえるかもしれませんね。いいものを読ませてもらいましたが、やっぱり最後に不満があるので(笑)星4つです。