ネット社会の未来像についての考察 Part.1 「動物化とネット」

今日からネット社会の未来像 (神保・宮台激トーク・オン・デマンド (3))について少しずつ書いていきたいと思います。
基本的にはネット社会に関わることについて、あれこれ考えていこうというスタンスです。


まずは第1章の「動物化」と監視社会の奇妙な関係―忍びよる情報化の影 から
動物化とは何か」「インターネットで言論が成立しない理由」について考えます。


まず、動物化というのはゲストの東浩紀さんが考え出したもので、ここでは他人に尊敬されたいと
あまり思ってない事が動物化の本質であり、他者関係に置いて自分の欲望をコントロールしていないという人のことを指す、と述べられています。
この例として、映画を見て友人などの他者に感想を聞いたりして、別の見方を手に入れたり初期の感覚を訂正したりしないで、自分はこうだったと吐き出して終わり。他者との価値観の共有には重きが置かれず「感情が壊れた」ように見える存在だとあります。
動物化=「社会性がなくなる」と同義。
動物化について詳しく知りたい方は東浩紀さんの著書動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)をお読みください。)
僕は確かこの本は読んでなかったはずですので、今度読もうと思います。
ちなみに後々出てきますがこの本は動物化批判であるようでそうではないそうです。


ここで自分の立場を明らかにすると、
僕自身は尊敬されたいと思ってはいるけどそこにあまりこだわりはないというところでしょうか・・・ ついでにいうとあまり立派な人間ではないと認識しております。
自分が動物化しているとはあまり思っていないけど、ちょっとそっちよりかな?程度です。
尊敬されたいと思うってことが、あまりない人は多いんじゃないかと思うんですがどうなんでしょうか?周りを見てみると、そういう人ばっかりという印象が(笑)
後者の他者との価値観の共有に重きをおかない、のほうが動物化として納得できる説明だと感じます。


さて、本題に戻り東氏は、今の社会は動物化を促進している。と指摘しそのシステムの一部の例としてSNSをあげ、自分の書きたいことを書いているとなんとなく友達ができるし、そこにコミュニティが生まれるシステムであり古典的な倫理観で見ると大変憂慮すべき事態なのだけど、それならそれでいいとも思えなくない。そこに社会性が発生してきているかどうかは難しく「社会」とよぶためには世代的な連続性が必要であり、まだ歴史が浅すぎる、後半世紀ぐらいしないと分からない
との考えを言います。
それに加え、いまから1年前には「はてなダイアリー」というブログサービスが流行っていた、
でもmixiが流行るとみんな乗り換える。オンラインのコミュニティは、せいぜい一年、二年の話で10年、20年というタイプのコミュニティがつくられるかどうかは全然分からない。と締めます。


はて、これがいつ収録されたものかは分かりませんが僕自身調べた所によると2004年1月時点でははてなダイアリーが利用者202万人でTOPと出ています。
そして今の時点はどれだけ利用者がいるか分かりませんが乗り移ったという印象は全くありません。その辺がかなり曖昧であるので納得できない部分がありますが、全体から見るとまだ歴史は浅いし広く認知され活用されているかというと微妙な部分があります。
だけど、ネットを含め全体的にコミュニケーションツールがこれからどういう形態をなすか分からないのですが年々利用者は増えてくると思いますし革命的なものが出現しない限りず〜っとこういうものは続くんじゃないかという気もします。


ここから議論のほうは海外のブログ事情についてや2ちゃんねるについてなどのことについてのほうへ進んでいくことになるのですが、少し飛ばして「インターネットで言論が成立しない理由」へいきたいと思います。


日本ではブログはプライベート化が進み、「昨日あのTV見たよ」「へぇ、俺も見た」、というような、(まぁちょっと簡素すぎる例えだとは思いますが)そういうコメントのやりとりに終始してしまい、これが東氏には退屈だと感じるとのこと。
そして神保さんがネットがあまり活発な議論をする場になっていない、一本的に言いたいことをえねんと書く人がいて成立しかけても駄目になってしまうことが多い。という話から議論が延々と発展するのですが、これをまとめたりしていると物凄い量になるし時間がかかるので省略して自分の考えを述べます。


まず、現実的に日本のネット上で言論が成立していると言えるかといえばそうは思いません。
僕が議論が成立している、発展しているなと感じるところはIrregular Expressionさんとか
アジアの真実さん、まぁ他にもあるでしょうが自分が思いつくのはこれぐらいで、あとは2ちゃんねるの一部ですかね。
しかし、これはいずれも共通点があり、ある種のお祭り的要素がないと駄目なのではないかという所。mixiのコミュニティを見ていても、とても議論が発展しているとはいえないです。(僕が見ているコミュ限りですが)
それはmixiという閉鎖的であり馴れ合い的なシステムがそうさせているかもしれません。
宮台さんはネタ(嘲笑や罵倒)に反応しすぎるからだという指摘をしていますが、確かにそれはあると思います。
あとは、日本人は忙しいから。とかも思ったりしました。
う〜ん、思考が進まなくなってきた・・・。


正直いいますと本を読んでいても、その明確な答えというのはありません。
もしくは僕が理解できていません。
神保さんが「日本は大衆社会で、一億みんな同じということですね。」と2人の意見をまとめるんですが、もう複雑すぎて一体何が原因なんだ!と感じることもしばしば。
書いていて頭がこんがらがってきたので、また何か思いついたら追記していこうと思います。
むしろ逆に問いたいぐらいだ、なぜネットで議論が発展しないのか!?
本当に、こんな文章ですいません(泣)