ドラマ「鈴木先生」総評 鈴木先生は白熱教室入門編として最適な教材だ!

この結論、主張に持っていくために人物・展開が作られ、配置されている感や、綺麗にまとまりすぎているところがありますが(原作は違うようです)、その主張の部分については同意でき、概ね満足できる内容でした。しかし、やはり不満があるのは事実なので、ここから主だった不満を書いていきます。


重要視していた、足子先生と神田の扱いですが、足子先生のほうは安易に改心するでもなく、悪者として切り捨てられるでもない扱いでよかったのですが、個人的な恨みでしか行動していない駄目な大人という感じが強く出すぎていて、己が信じる教育感のぶつかり合いという側面が弱くなっていたので、もう少し足子先生に共感できるような材料があれば、もっと良かったと思います。神田のほうは、行動動機がちょっと拍子抜けするような理由で、神田にとっては足子先生も軽蔑すべき大人で、ただ利用しているだけ。でき婚自体をことさら悪と考えてる訳ではないと思っていたのですが、普通に仲良く共謀していて、違和感がありました。原作について少し調べてみたら、どうやら足子先生をかなり尊敬しているようで、それなら納得なんですが、ドラマでは大人全般に対する不信感があり、感受性が高い人物だと感じたので、あれ?と思ってしまいました。なので、そのことをはっきり描いて欲しかったです。


次はもう一つ重要視していた鈴木先生の描かれ方と、鈴木先生の涙のわけについて。足子先生の「ばっきゃろー!」と神田のしたこととその理由を聞き、突然涙を流しました。その理由は、神田のシグナルを自分が見逃していたというこのとに気づき、まだあの頃と何も変わっていないんだと悟ったからだと、私は思います。その意味では、完璧な教師として描かれてないと言えますが、ちゃんと反省し、成長して、正しいと思える主張をするので、多くの人が共感、尊敬できる人物、教師になっています。その意味で言えば、数ある学園ドラマと同じで、特定の教師が宗教性をもって崇められるような存在になる図式になっていると言えるかもしれません。しかし、このドラマは理想の教育論があるだけで、そこへ導く方法論や指導論はほとんど描かれていませんし、鈴木先生自身も持っていません。それがこのドラマの良いところであると同時に鈴木先生の欠点であると私は思います。

鈴木先生は、小川に頼っていて、自身も言うように問題が起こってからでしか何かできない、心の変革に繋がる指導が出来ておらず、基本行き当たりばったりで、そのことに反省の弁を述べつつも、彼女ができて浮かれ気分になり、他の先生のヨイショに気をよくしたりして調子に乗っている感じがあり、状況を変えるために何かしたり、必死に考えたりという努力をしているようには見えませんでした。そういう悪い面が最後の涙により許されたというか薄らいだ感じになっているので、最後は神田の告白で終わるという形のほうがよかったのでは。更に言えば、鈴木先生寄りに描かれていることにより、鈴木先生のやっていることや発言は全て正しいと思わせてしまうような構造になっていることは事実だと思うので、鈴木先生の内面描写は極力抑え、生徒を中心にした視点にして、視聴者を生徒と同じ立場に置くという構成であったほうが、より良かったと思います。


鈴木裁判の内容の是非については、別途議論の対象にもなると思いますが、タイトルに書いた通り、鈴木裁判は白熱教室的な対話型議論の入門編として最適な教材になっていると思うので、多くの人に見て欲しいと、自信を持って言える作品であります。子どもには、セックスの話中心なので見せにくい、変な風に影響されないか心配と思われる方もいるでしょうが、ただ見せるのではなく、一緒に見て話し合うことが重要で、そこで衝突があっても、鈴木先生も言ったようにお互いの価値観の共有を図れば、子どもが知らぬ間に変な風に影響されて不幸になってしまうなんてことを防げるはずです。7話で鈴木先生が示した公式の“体験”は、必ずしも実体験である必要はなく、この作品を見ることも体験の一部だと思います。