「鈴木先生」6話感想 1話の鈴木先生の指導との対比、足子先生の役割について

1話と6話の鈴木先生の岬と竹地に対する指導は対になっていて、1話は恋愛や性に対して大人な態度をとる岬に対して、実はまだ精神年齢の低いガキだったと諭させたましたが、今回はその逆で、竹地を大人のように扱い覚悟を問い、結果竹地はそこまで考えておらず、母親にこの子はまだ精神年齢の低い子どもだと言われました。

ここには鈴木先生の生徒に対する接し方の違いも潜んでいます。1話では自分の考えを述べつつ、岬にも意見を述べる機会 を与えており、あくまでも生徒優先で対応しました。しかし今回は、自分の主義から論理を組み立て、半ば竹地をそこに押し入れるような形で指導を進めており、自分の論理が優先 していたように思います。


今回の鈴木先生のセックスに対する考え方は、一理あると思いますが、形を変えた処女信仰のようにも思います。鈴木先生の言う覚悟は自分だけ持っていればいいというものではなく、相手にも覚悟を求めることに繋がるもので、相手の理解も必要です。今回の鈴木先生の論理の弱点はそこにあり、それがどう展開に絡んでくるのか。こないのか判りませんが、くるとして、ここで足子先生の役割の話に繋げて、展開予想をしてみます。


足子先生は鈴木先生の教育理念を否定し、ことある毎に嫌みったらしい突っかかりをしてくる、嫌な存在、敵として描かれています。言い換えれば、鈴木先生の魅力を上げるような引き立て役として存在しており、視聴者側に「鈴木先生は正義・足子先生は悪」のような図式を出来あがらせます。この図式は変わらないものと思っていましたが、今回の最後に足子先生が出てきたことにより、この単純な二項対立を崩してくれるのではないかという期待が生まれました。次回、足子先生が、私が前述で指摘した論理の弱点を突き鈴木先生を追い詰めるような展開 を期待したいと思います。